ミーハーママ、子育てがんばります

ミーハーなワーママが子育てに奮闘する様子をお届け(現在育休中)

令和6年能登半島地震における金沢滞在の様子

この度の令和6年能登半島地震に対し、心からお見舞い申し上げます。皆様の安全と被災地の1日も早い復興をお祈り致します。

 

この地震のとき、実は石川県金沢市に滞在していた。その時の様子と良かった点、反省点についてレポート。

 

 

 

地震発生とその後の対応

12月末から金沢市の義実家に帰省していて、1/6まで滞在の予定だった。そんな中、1/1の夕方に地震発生。

地震が起きたとき、次女をお腹の上に乗せてお昼寝中だった。

1回目の揺れ(前震)は、よく東京で起きる震度3レベルのもので、特にその場から動かなかった。その時、義母と義祖母が、私と次女に覆い被さってくれた。(親としての自覚が浅く反省した。)

2回目の揺れ(本震)は震度6でとても激しく、近くの棚が落ちそうなのを義母と義祖母が抑えながら覆い被さってくれた。ガタガタと音を立てて棚が揺れ、キッチンの方からはガシャンと音がした。収まった瞬間に家に閉じ込められないよう、外に出た。近所の人たちも外に出てきた。外に出てからも何度も小さな揺れがあり、子供と私はガレージ下の車に避難することに。車での待機中、家の中の様子を夫や義父母が確認しに行ってくれていた。

テレビは棚から落ち、

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食器棚からは皿が落ち、

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高く積んだ収納ケースが倒れ、トイレのタンクから水が溢れてトイレの床が水浸しの状態。

揺れの間隔が落ち着くまで2時間ほど車で待機した。(次女は授乳、長女は昼寝)

家に戻ってからは、夫や義父母が皿の破片の処理やトイレの排水をして普段通りの生活ができるようにしてくれた。水や電気も問題なく使用可能だったため、余震で少し揺れること以外は普段通りの生活に戻った。

(親戚が住んでいる津幡町では断水になっていた。前震のあと湯船に水を貯めたこと、ウォーターサーバーがあったことから、ほぼ普段の生活ができたとのこと。湯船に水を貯める判断が素晴らしい。)

しかし、夜間も同じように何度も小さな揺れがあり安心して過ごせず。ただでさえ夜間授乳で睡眠不足なのに、緊張も加わって輪をかけて寝不足に。

1/2の朝、夫と相談し、余震は1週間ほど続くということもあり、一刻も早く東京に戻ることにした。北陸新幹線の空き状況をチェックすると、1/3の7時台が空いており、購入しようとするとちょうど埋まってしまった。残り始発便だけになったところですぐさま購入。30分後にもう一度空き状況を確認すると、1/3は全て埋まってしまっていた。ギリギリセーフだった。

そして無事東京に戻ってくると、家の中は何の異変もなく、地震などなかったようだった。夜間も安心して過ごせたため、よく寝れて疲れも取れた。

 

それでは、良かった点と反省点のまとめ。

良かった点

  • ほぼ完母になっていたため、お湯やミルクの粉が必要なく簡単に授乳できた。
  • 東京に戻る判断を早めにして、チケットを早急に取れた。

 

反省点、今後気をつけたい点

  • 地震のアラートが来たら、どこに身を潜めるか確認しておく。
  • 弱めの揺れでも、子供・自分の身を守る姿勢を取る。
  • 弱めの揺れでも、収まった時にすぐにお風呂に水を貯める。(本震が来て、断水してしまう可能性があるため)
  • 高い場所に割れやすいものを置かない。

※当たり前のことだが、大事なことだと再認識。